日々是ぼやき

 母に「意外に口うるさいわね」と言われます。

 妹に「ケチばかりつけてる」と言われます。

 友に「辛口すぎる」と言われます。

 恋人に「注文が多い」と言われます。

 会社の人に「発言がブラックだ」「いや爆弾だ」などと言われます。

 関西人に「あんたはいつもぼやいてる」と言われ、ようやく納得しました。そうです、私はただぼやいているのです。関西人の表現力、おそるべし。

金持ち父さんと祝島

 どこで目にしたのか忘れましたが、「金持ち父さん貧乏父さん」の著者ロバート・キヨサキさんが、アメリカ経済の崩壊に備え、食料や水や銃や貴金属を備蓄しているというコラムを読みました。備蓄リストに銃が含まれるなんてアメリカは物騒なところなんだな、というのが最初の感想でした。

 次に頭に浮かんだのは、祝島のじいちゃんばあちゃんの暮らしぶりでした。

 祝島は豊かな海に囲まれた山口県の小さい島です。30年前、対岸に原発の建設計画が持ち上がり、島の生活は一変しました。島民のほとんどは30年にわたり、一貫して建設に反対してきました。

 3月の震災後、縁あって祝島に行く機会に恵まれました。現地で聞いた中でいちばん衝撃的だったのは「島ではお金がほとんど流通していない」という話でした。たしかに島で見かけたのは小さな商店が2軒だけで、あとは釣り客観光客相手の小さな食堂と喫茶店が1軒ずつ。島ではほぼ自給自足の生活なのだそうで、たまに商店で醤油を買うくらいなんだろうと思います。

 震災直後の東京では一時的にスーパーやコンビニの棚が空っぽになりました。会社帰りにスーパーに寄っても食べられるものがまったく残っていませんでした。あのときの無力感、そして、初めて感じた暴動や略奪への恐怖。自分の生活がいかに脆弱な基盤の上にあるのかを目の前に突きつけられたような気がしました。

 でも、祝島に行ってそんな恐怖が少し薄れました。あの島では流通がストップしても、電気が止まっても、日常生活にたいして影響があるようには見えませんでした。そして、そんな場所はたぶん日本のあちこちにあるんだろうと思います。

 すでにキヨサキさんは金に物を言わせて数年分の食料を買い込んでいるのかもしれません。でも、備蓄なんかしなくたって、祝島に移住すれば10年でも生活できそうです。金融危機もどこ吹く風です。キヨサキさんは自分で釣った魚を食べて、使い道のなくなったお金で上関原発の建設予定地をまるまる買い取ればいいのです。

 そんなことをぼんやり考えていたら、上関町長選で原発推進派の現職が3選したとのニュースが流れました。私の実家は上関に近く、原発建設予定地から30キロ圏内にあります。祝島のことを思い出すたびに、人間にとって本当に大切なものは何なのかさっぱり分からなくなります。

椅子を拾う

 住宅街を歩いていると、1年に1回くらい「ご自由にお持ちください」という張り紙とつつましく並べられた不用品に出くわすことがあります。私はこういうのが割りと好きで、時間があれば足を止めてじっくり眺め、気に入ったものがあれば有難くいただいて帰ります。宝物を探すような、よその台所をのぞくような、なんともいえないわくわく感があります。

 今日、久しぶりに不用品の陳列を見つけました。しばらく考えて小さな椅子をもらって帰ることにしました。

 私の人生で椅子を拾うのはこれで3度目です。最初のはしっかりしたダイニングチェアで、アンティーク風に塗装して座面を張り替え、数度の引っ越しを経ていまは実家で使われています。次は電子オルガン用のシンプルな椅子で、台所でずいぶん活躍してくれましたが、当時の恋人が気に入って持って行ってしまいました。

 今回拾ったのはかなり使い込まれた感じの低い木のスツールです。物置にあったものなのか、埃だらけの傷だらけだし、釘が抜けてガムテープで補修されていたりしますが、そんなジャンクな雰囲気もたまりません。とりあえずは晴れた日にタワシでごしごし洗うとします。

みんなマルチリンガル

 国際カップルの結婚式は色んな国の人が集うので色んな言葉が飛び交います。先日香港で出席した結婚式は新郎が日本人、新婦が日本在住の香港人で、広東語、英語、日本語が共通言語でした。私の隣に座っていた香港人は日本語が分からず、私は英語がまるでできないので、主に中国語(中国標準語)で会話しましたが、友人は英語を使い、その隣の香港人が流暢な日本語で注釈を入れてくれたりしてカオス状態でした。

 10年前に香港を訪れた時は中国語があまり通じないと感じたのですが、今回は何の違和感もありませんでした。香港返還から14年が経ち、中国の渡航規制などが緩和されたことで、香港にも中国語が浸透したんだろうなあと思います。

 今回の旅行で出会った香港人たちは、年齢に関係なく広東語、英語、中国語を自由に操り(広東語と中国語は、英語とフランス語・ドイツ語くらい違うと言われます)、さらに日本語ができる人も多かったです。そして、香港人にとって英語はかなり身近な言語のようで、広東語が通じない相手にはごく自然に英語に切り換えるし、友人とのメールやチャットは漢字変換が面倒なので英語を使うのだそう。環境によるところが大きいのだとは思いますが、英語が苦手な身としては羨ましい限りです。

 私がかつて留学していた中国の学校は学費が恐ろしく安かったので、世界中から留学生が集まっていました。主にヨーロッパや西アジアからでしたが、彼らは母語以外に英語ともうひとつふたつ外国語が使えて、5ヶ国語以上話せる人もたくさんいました。7ヶ国語を話せるというアルメニア人に、中国語は他の言語と比べて難しくないかと尋ねたところ、「語形変化がないから超簡単」と言われてしまいました。漢字には苦戦したようですが、文法も発音も数ヶ月で習得したとか。彼女曰く、いちばん難しい言語はロシア語なのだそうです。

物価感覚

 10年ぶりに香港に行ってきました。前回は中国のビザ取得が目的で、日本人御用達の安宿「ゴダイゴゲストハウス」を利用したのですが、今回は友人の結婚式で旅行会社が手配してくれたホテルに宿泊しました。この10年の間に自分の身に起きたあれこれが思い出されて感慨深いです。

 10年前は中国から列車を乗り継いで香港入りし、お金も時間も気持ちの余裕もありませんでした。中国では麺類が20円ほどなのに、香港では量が少ないくせに200円もしたので、物価が高くて暮らすのが大変そうというのが当時の印象でした。ただ、日本人の感覚では「香港の物価は安い」ということは分かっていたので、いつか日本の格安ツアーを利用して豪華ホテルに泊まり、飲茶を楽しみ、街歩きをしたいとひそかに思っていました。

 しかし、帰国してはや5年。今回日本を出発する前に空港で食べたラーメンは850円でした。香港では以前と変わらず200円ほどだったので、すでに日本価格になじんでいた私の物価イメージは一瞬でひっくり返りました。食料品も衣料品も公共交通の運賃も日本よりかなり安かったです。トースト+ハムエッグ+ヌードル+ドリンクの豪華な朝食セットが250円、香港名物トラム(路面電車)は一律20円強、地下鉄は初乗り50円ほど。観光客に優しい街だなあと思いました。

 感慨深いと言えば、人民元がずいぶん強くなったことにも驚きました。10年前は100人民元を両替するとたしか90香港ドルくらいだったのに、今回両替してみると120香港ドルになりました。人民元香港ドルの通貨価値が逆転して5年近く経ちますが、こんなに差が開いているとは思いませんでした。