ソツない人々

 身近な人をカテゴライズして、心の中で肯定的/否定的な評価を下す人は少なくないと思います。ある基準で線引きをし、その人を「あっち側」か「こっち側」かに分類してしまうのは、同調できない自分への言い訳なのかもしれません。

 私のカテゴライズの基準は「ソツがない」かどうかです。ソツがない人と一緒にいると、無駄にプレッシャーを感じて疲れてしまうのです。

 なぜこんなことを書いているかというと、久しぶりにソツない人と知り合ったからです。

 ソツがない人は、言い換えればスマートな人です。やることなすこと的確で、所作は落ち着き払って隙がなく、着こなしや持ち物のセンスが良かったりします。教養があり、時間に正確で、突っ込みどころがありません。

 こういう人はいったいどうやってソツのなさを身に付けたのでしょう? 私には生まれながらに備わった素質としか思えないのです。難関大学出身でも大手企業の社長でもスマートでない人はたくさんいますし、兄弟だって片方は何でも無難にこなし、片方は世渡り下手という場合もあります。努力や知識や経験で補えるようなものではないような気がします。

 もちろん、ソツない人々がきちんと努力をしてきたことは分かるのですが、努力の仕方さえ無駄なく抜かりなくスマートであるように見えます。彼らは他人のミスにも寛容です。どうしてこんな簡単なことができないんだろう、と思っても、これっぽっちも態度に表したりしません。そして、腹を立ててもいい場面では逆ににこにこしたりして、懐の深さを見せつけたりします。同じ土俵に立ちたくないというわけです。

 私にとって、ソツがない人というのはなんだか得体が知れず、一緒にいても気を抜けない存在です。つまらないミスをしでかして、しょんぼりしたり言い訳している人の方が人間らしくて信用できるような気がするのです。

 考えてみれば、高校時代にもソツないクラスメイトがいました。飛び抜けて目立つ存在ではないけれど、成績上位でセンスが良くて大人びていました。私はその頃から、周りの人をソツがないかどうかで分類していたのでした。