リンゴをめぐる思い出

 まだパソコンが一人一台でなかった頃の話です。

 当時、私はずいぶん年上の男性と付き合っていました。彼は中古のマッキントッシュを手に入れたばかりで、私にその素晴らしさを伝えたいと苦心していたようでした。でも私はパソコンとワープロの違いすら分からず、インターネットの概念などちんぷんかんぷんでした。彼は色んなことを辛抱強く説明してくれましたが、私はなぜそんな箱に夢中になれるのかさっぱり理解できませんでした。

 それでも、そのマッキントッシュは私が初めて遊び道具として認識したコンピュータでした。

 彼はパソコンに興味を示さない私に、マシンの性能を小人に例えて説明してくれたことがあります。この箱は古いから、中に入っている小人の数が少ないんだよ、だからみんなでわっしょいわっしょい動かしてもすぐに疲れちゃうんだよね、と。起動するだけで15分くらいかかっていたので、私は三角帽をかぶった小人が必死に歯車を回している様子を思い浮かべたりしていました(将来パソコンを自作するようになるとは思いもしませんでした)。

 ある冬の日、彼と散歩中にたまたま立ち寄ったフリーマーケットで、古い小さなマッキントッシュ(たぶんSE/30)を見つけました。キーボードはなくて本体だけ。出品者に「よかったら床の間にでも飾ってください」と言われ、彼は2000円を払ってその小さい箱を連れて帰りました。うちに帰って電源を入れると泣きべそアイコンが出てきて、ちょっと切ない気分になったことを思い出します。

 しばらくして私は彼と別れ、数年してデザイン会社に転職し、最新のパワーマックを使うようになりました。最新といっても重いデータをいじるとじきに動作が不安定になるので、私は動きがのろくなってくると心の中でこっそり小人に声援を送っていました。

 そしてデザイン会社を辞める頃、新しい恋人からお古のパソコンを譲り受け、私とマッキントッシュの関係はひっそりと終わったのでした。

 スティーブ・ジョブズの訃報に接して、フリーマーケットで小さいリンゴのマークを見つけた時の彼の嬉しそうな顔を思い出したので書いてみました。あれからずいぶん時が流れましたが、彼がいまもちびマックを持っているといいなあと思います。